本堂内部

慈眼院について

慈眼院の歴史と沿革

慈眼院はもともと高野山金剛峯寺の塔頭寺院のひとつで、学侶方の寺院として隆盛を誇っておりました。明治の廃仏毀釈で高野山でも寺院の統合廃寺がすすむなか、衰退しつつも慈眼院は昭和初期まで存在しておりました。高崎白衣大観音建立後、昭和16(1941)年に高野山より別格本山として高崎への移転が決まり、中興初代住職として、橋爪良全が迎えられました。
創建は、鎌倉中期、執権北条義時の三男、相州極楽寺入道重時と伝えられます。寺記によると、元禄時火災により炎上、過去帳や古文書の類はことごとく焼失したといわれています。続紀伊風土記には、本尊の聖観世音菩薩は鎌倉坂下村の安左衛門という文人が由比ヶ浜で漁をしたときに網にかかった尊像とあります。

本堂

慈眼院と高崎白衣大観音

高崎白衣大観音は、昭和11(1936)年、高崎の実業家井上保三郎により建立されました。井上保三郎翁は、高崎十五連隊の戦没者の霊を慰め、世の中に観世音菩薩の慈悲の光明を降り注ぎたいと念じ、さらに高崎の発展を願って、古来観音に縁の深い観音山頂に建立されたのです。観音像は高さ41.8m、重さは5985tのコンクリート造りとなっております。以来、北関東における観音信仰・大師信仰の中心地として、広くその名が知られてまいりました。次の中興二世良恒は、昭和61(1986)年に白衣大観音建立五十周年記念事業として、仮本堂から高崎千体観音堂への大改築が成し遂げました。その前後には、一路堂・光音堂・大師堂・心経宝塔の建立、二度に亘る白衣大観音の大修理、太鼓橋・玉垣の改修と、立て続けに境内整備にとり組みました。現在慈眼院は、関東八十八カ所霊場第一番札所と、東国花の寺百ヶ寺のひとつに選ばれ、境内は観光地としてはもちろん、全山約三千本の桜をはじめ四季を通じて様々な花木、自然を楽しむことができる市民憩いの場ともなっています。観音像は平成10(1998)年に「たかさき都市景観賞」受賞、平成12(2000)年には国の「登録有形文化財」に指定されました。
令和4(2022)年末には、テレビ番組の計測で白衣大観音の体積が「1522,2m3」ということが分かりました。高崎白衣大観音は1万5000人をも包み込めるほどの大きな優しさをたたえた菩薩であり、地域の守護神なのです。

大観音建立中
井上保三郎 銅像
白衣観世音建立趣旨 石碑
白衣大観音

白衣大観音

昭和11年、高崎の実業家井上保三郎翁は、当時の混迷した思想界に1つの光明を点じ、観世音菩薩の広大な功徳をあまねく世の人たちに分かちあおうとの志から、古来観音にゆかりの深い観音山頂に、白衣大観音を建立された。高さ41.8m、重さ5985トンのコンクリート造り、胎内は9階よりなり、各階あわせて20体の仏像が安置されている。 原型は伊勢崎の彫刻家森村酉三氏に依る。

観音山の丘陵の地に、高崎の街を見おろすように建てられた、白衣大観音は市のシンボル。そのお顔は、変わりゆく高崎の街の姿を眺めつづけてまもなく一世紀。平成8年には、大がかりな修理が施され、太鼓橋も新しくなり、新たに大師堂が建立された。これからも市の守護神として、限りない慈悲で高崎を見守りつづけてくださるのだろう。

高崎千体観音堂(本堂)

高崎千体観音堂(本堂)

昭和61年、白衣大観音建立50周年を記念して建立された、慈眼院の本堂である。本尊聖観音を中心にして、千人の施主から奉納された千体観音像が安置されている。観音像の原型製作は彫刻家長谷川昂氏、本堂の設計は工学博士伊藤平左ェ門氏に依る。

尊像

続紀伊風土記に、鎌倉中期、鎌倉坂の下村の安左衛門という文人が、由比ヶ浜で漁した時に、網にかかって上がった尊像であると記されている。厨子内垂幕には享保年間修復の記があり、光背及び台座はその頃のものと思われる。本尊については不詳であるが、その楚々とした微笑のかげりや印相や衣紋のたたずまいには遙か遠い時代をしのばせるものがある。

一路堂

一路堂

高崎市出身の故馬場一路居士は、生涯に33,787本もの観音施画をはじめ数多くの書画を残した信心の人であった。
一路堂は、昭和49年、未亡人の発願により慈眼院の一隅に建立され、居士の遺墨が常時展覧されている。堂の設計は高崎市在住の水原徳言氏。
茶室や和室(24畳)があり、茶会や句会などでも利用できる。
現在一路堂はカフェとして営業している。

大師堂

大師堂

平成7年、関東一都六県の真言宗各派寺院が中心となり、開かれた「平成の大師(弘法大師)の寺」を標榜して関東八十八カ所霊場が開創された。当山は第一番札所に選定され、これを機に本堂内の弘法大師像を、新たに平成8年建立の大師堂内に奉祀することになった。
また、平成13年春には、大師堂前に弘法大師にたいへんゆかりの深い「虚空蔵菩薩像」が寄進された。弘法大師と虚空蔵菩薩は共に「智慧のほとけさま」として、学業・合格成就の功徳が得られる。

光音堂

光音堂

昭和54年11月、聖観音菩薩座像を本尊とし、観音様の背後に建立された六角堂である。
光音堂の名は観世音菩薩の異名にちなみ、白衣大観音像の光背の日輪、その光を音として観ずる、あたかも世音を観ずる観世音と意を同じくするいわれである。毎月18日は縁日、堂の設計は高崎市在住、大畑俊夫氏。
本尊は別名「一願観音」ともいい、ひとつだけ願い事を叶えてくださる。特に、縁結び・恋愛成就・良縁成就を祈願するとよい。

太鼓橋

太鼓橋

拝観のご案内

白衣大観音の胎内は、20体の仏様や高僧の像があり、146段の階段を登って頂くと、観音様の肩の高さまで(9階)昇ることが出来ます。各階の窓からは高崎市街や 上毛三山、関東平野などが望めます。(足腰の健康な方でしたら、約10分程度で往復することが出来ます。)

胎内拝観時間

3月~10月:午前9時~午後5時

11月~2月:午前9時~午後4時30分

胎内拝観料

高校生以上300円(200円)

中学生以下100円(50円)

※( )内は30名以上の団体料金

※障害者手帳をお持ちの方は提示して頂ければ無料です

駐車場

Google MAP
●観音山頂有料駐車場(027-310-1377)
参道や商店街を楽しみながら徒歩約10分
 普通車440円 大型車760円 二輪110円

●つけもの処 旬彩(027-327-4753)
徒歩約3分 駐車料金や500円以上のお買い物で駐車料金無料について

※どちらの駐車場も詳細については直接お問い合わせください。当院の運営ではありません。路上駐車はご遠慮ください。

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