ふだらく

坂龍飛騰す  - 272号 -

今年は日本の韓国併合から百年目の年である。その前年の明治四十二年には、伊藤博文がハルビン駅頭で安重根によって暗殺されている。安重根は切手にまでなっているくらいだから、いまだに韓国では抗日の英雄なのである。しかしこれはやはりテロである。「怨み心は怨みではとけない」のが法則である。

またさらに遡ること五十年、今から百五十年前であるが、桜田門外の変が起きた。これもテロだ。今でいえば、総理大臣が国会議事堂の入口で殺されたような大事件である。勝海舟はこの事件を聞き幕府も長くないと感じたそうだ。しかし弾圧されていた尊皇攘夷派にとっては快事であり、暗殺の水戸浪士たちはヒーローとなった。これを機に、攘夷、公武合体、佐幕、開国、倒幕と様々な思惑が入り乱れ、京都を舞台に血で血を洗う奇々怪々の幕末動乱期へと突入していくのである。

テロは現代の私たちの感覚からすれば明らかに否定すべきことだが、当時は時代の要請もあり、それなりの義憤に基づく行動であり、大きな政治的転換点となったことは確かだ。暗殺、天誅、斬首、自刃等々、死を以て雌雄を決するのが当たり前の当時にあって、その開明的な考えがひときわ異彩を放つ男がいた。昨今ブームの坂本龍馬である。土佐を脱藩した龍馬は、封建的身分などにはとらわれず、打倒幕府・国論統一を内に秘めつつも敵味方問わず交際し、自由に世界へ進出することを夢見て奔放にブローカー的周旋活動を展開していた。その基本的発想は自由民権思想の走りらしきものを内包していた。明治となり、土佐出身の板垣退助、後藤象二郎、中村正直、植木枝盛たちがその運動の中心人物となっていくのも、土佐の微妙な立場もあったが、ある意味では龍馬のその流れでもあった。 龍馬はおそらく考えていたはずだ。狭い藩意識や身分にとらわれていては、決して心は自由にならないし、世界と互していけまい。また気に入らない相手を抹殺しているうちは、怨みの連鎖から逃れることはできない。真に志あるあるものは利害や対立を超えて、大局的見地から手を携えねばならない。一種の中道理論であり、発展的思考でもある。

龍馬の考えは必ずしもオリジナルではないが、人格的感化力・影響力は群を抜いていた。思想的には船中八策や五箇条の御誓文として結実した。具体的には犬猿の仲であった薩摩と長州を互いの利を仲介して奇跡的な薩長同盟を成立させた。また大政奉還という歴史的大事業の実現に大きな貢献をした。怨みを越えて和(利?)を選択したがゆえの勝利であるが、皮肉なことに本人は怨みを買って暗殺された。思うがままにならぬのが人生である。



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